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第一話 年上エリート幼馴染・九条怜

Author: すずかん
last update publish date: 2026-10-12 23:50:09

「……は? なんでお前がここにいるわけ?」

 久しぶりに会えた幼馴染の第一声は、それだった。

 ……あれ。

 もしかして、来ちゃいけなかった?

 都内の一等地にそびえ立つ高層オフィスビル。

 そのエントランスで、私は紙袋を両手に抱えたまま、ぱちぱちと瞬きをした。

「怜くん! 今日、大事なプレゼンがあるって言ってたでしょ? 資料忘れてたから届けに来たの!」

「……お前なあ」

 目の前の男は、呆れたようにため息をついた。

 九条怜、三十二歳。

 誰もが知る大手企業に勤めるエリートで、私が十五年以上片思いしている幼馴染のお兄ちゃんだ。

 小さい頃から頭がよくて、顔もよくて、何をやらせてもそつなくこなす。

 おまけに背も高く、スーツ姿なんて腹が立つほど似合っている。

 ……そう。

 私の大好きな男である。

 ただし、性格には少々難があった。

「わざわざ持ってこなくていいって。連絡くらいしろよ」

「だって、忙しかったら邪魔かなって思って。ほら、サプライズ!」

「忘れ物届けるのにサプライズも何もないだろ」

「えへへ。確かに!」

「……褒めてねえから」

 怜くんは、昔からこんな感じだ。

 無愛想で、口が悪くて、私が何をしても大して喜ばない。

 だけど、本当は優しい。

 私が落ち込んでいるときには黙って隣にいてくれるし、困っているときには何も言わずに助けてくれる。

 だから私は、彼のことがずっと好きだった。

「でも、これないと困るかなって。昨日も遅くまで準備してたでしょ?」

「……まあな」

「ちゃんと朝ご飯食べた? 昨日、寝たの三時過ぎだったよね?」

「お前は俺の母親か」

「違うよ! 将来のお嫁さん候補!」

「はいはい」

 ……なんという塩対応。

 これでも結構、勇気を出して言ったのだけれど。

 まあ、いつものことなので気にしない。

 私は彼のこういうところまで、好きなのだから。

 ……たぶん。

「あら、九条さん?」

 そのとき、背後から女性の声がした。

 振り返ると、そこにはモデルのように綺麗な女性が立っていた。

 艶やかな黒髪に、すらりと伸びた脚。上品なブランドバッグを腕にかけ、見るからに仕事ができそうな雰囲気だ。

 うわあ、綺麗な人。

 思わず見惚れてしまった。

「こちらの方は?」

「あ、幼馴染です! 桜庭小春といいます!」

 にこっと笑って頭を下げる。

 初対面の人には、できるだけ感じよく。

 これは私のちょっとした習慣だった。

 ところが、女性は私を上から下まで眺めると、なぜか小さく笑った。

「へえ。幼馴染の方なんですね」

「はい!」

「わざわざ会社まで忘れ物を届けに? 九条さんって、そんなにお世話してもらわないといけない方でしたっけ?」

「えっ?」

 ……あれ?

 なんだろう。

 今、ちょっと嫌味を言われたような。

「いえ、私が勝手に持ってきただけなので!」

「そうなんですね。ずいぶん献身的なんですねえ」

 にっこり。

 私も、にっこり。

 ……うん。

 この人、たぶん私のこと嫌いだ。

 初対面なのに。

 悲しい。

「九条さん、そろそろ会議のお時間ですよね?」

「ああ」

「では、参りましょうか」

 女性はそう言って、怜くんの隣に並んだ。

 その距離が、ほんの少しだけ近い気がした。

 ……気のせいかな。

 気のせいだと思いたい。

 でも、二人が並んでいる姿は、悔しいくらいお似合いだった。

 美男美女。

 仕事もできて、大人で、同じ世界に生きている人たち。

 それに比べて私は。

 好きな男の忘れ物を届けに来た、ただの幼馴染。

 ……なんだか、急に恥ずかしくなってきた。

「じゃあ怜くん、これ!」

 慌てて紙袋を差し出す。

「プレゼン、頑張ってね! 応援してる!」

 いつものように笑ってみせた。

 だけど、怜くんは紙袋を受け取ると、なぜか少し不機嫌そうな顔をした。

「……小春」

「ん?」

「もうこういうこと、しなくていいから」

「……え?」

「忘れ物くらい自分でどうにかする。お前もいちいち俺のこと気にしなくていいって」

 ああ、そっか。

 そうだよね。

 怜くんはもう三十二歳だ。

 立派な大人だし、仕事だってできる。

 私が心配する必要なんて、最初からなかったのかもしれない。

「……そっか! ごめんね!」

 へらっと笑う。

 ちょっとだけ胸が痛んだけれど、仕方ない。

 親切のつもりでも、相手にとっては余計なお世話になることだってある。

 それくらい、私だってわかっている。

 だけど。

「会社まで来られると困るんだよ。正直、こういうの重いから」

 続いた言葉に、思わず顔を上げた。

「……重い?」

「お前、昔から俺のことになると周り見えなくなるだろ。もう少し自分のこと考えろよ」

「…………」

 ……あれ。

 なんだか、思っていたよりずっと傷つく。

 私はただ、喜んでほしかっただけなのに。

 大事な仕事だから、少しでも役に立てたらいいなって。

 それだけだったのに。

「……そっか」

 私は小さく頷いた。

「ごめんね。もうしない!」

 にこっと笑う。

 こういうとき、私は昔から笑ってしまう。

 相手を困らせたくないし、気まずい空気も嫌いだから。

「じゃあ、プレゼン頑張ってね!」

「……小春」

「ん?」

「帰り、気をつけろよ」

 ああ。

 そういうところなんだよなあ。

 冷たいことを言ったあとで、そんなふうに心配してくる。

 だから、いつまでたっても嫌いになれない。

「うん! ありがとう!」

 私は大きく手を振って、くるりと背を向けた。

 エントランスの自動ドアを抜けると、秋の冷たい風が頬を撫でた。

「……はあ」

 思わずため息がこぼれる。

 別に、感謝されたかったわけじゃない。

 恩を着せたいわけでもない。

 ただ、好きな人が困っていたから助けたかった。

 それだけなのに。

「……重い、かあ」

 ぽつりと呟いて、空を見上げる。

 十五年間。

 私はずっと、怜くんのことが好きだった。

 でも。

 彼にとって私の愛情は、もしかすると、ずっと迷惑だったのかもしれない。

 ……なんて。

 そんなことを考えたら、泣きそうになってしまった。

「いやいや! 泣かない、泣かない!」

 私は慌てて両頬をぱんっと叩いた。

 今日はせっかく可愛くメイクしてきたのだ。

 こんなことで崩すなんてもったいない。

 それに、私にはまだ仕事がある。

 いつまでも落ち込んでなんていられない。

「よしっ! お仕事頑張ろ!」

 そう自分に言い聞かせて、スマートフォンを取り出した。

 画面には、職場の後輩からメッセージが届いていた。

『先輩、今日ちょっと話があります』

 ……おや。

 珍しい。

 いつも私をからかってばかりの、あの生意気な後輩が?

 もしかして、何かいいことでもあったのだろうか。

 私はすぐに返信を打った。

『お疲れさま! どうしたの?』

 ……このときの私は、まだ知らなかった。

 十五年間の片思いが傷ついたくらいで、落ち込んでいる場合ではなかったことを。

 なぜなら。

 私の最悪な一日は、まだ始まったばかりだったのだから。

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